ものみの塔の囚われからの救出作戦-2
ものみの塔の囚われからの救出作戦-2
*ものみの塔の囚われからの救出作戦-1では、救出作戦の具体例を幾つか記しましたが、その別バージョンを記載します。
場面設定は前回と同じ、「聖書研究」での司会者とのやりとりです。
題して「初信忘るべからず」作戦(「信」の字が違っているのは誤字ではありません)
つまり、複雑になりすぎたものは、扱いが面倒なので、できるだけシンプルにします。
その最も良い方法は「振り出しに戻る」ということです。
「そもそも」が間違っていることが証明されれば「経緯や結末」も自動的に無意味であることが証明されるという理屈です。
物事の「始まり、設定、発端」だけに注目してその決定的な誤りを明らかにすることによって、その上に積み上げられた膨大なもの、不動なことと思い込んでいるものを一気に覆す論法と表現することもできます。
この方法が手っ取り早く効果的だと言えるのは、「ものみの塔」の数多い自己矛盾教理のうち、もっとも分かりやす例だと思えるからです。
ものみの塔の根幹をなす教義が、自分たちこそ「神に選ばれた唯一の組織だ」という主張を裏付ける聖書的根拠として示しているものと、神の「漸進的な導き」のおかげで、新しい真理を見出し、教理を変更してきたという彼らの常套手段というか、典型的なスタンスが完全に「自己矛盾」をきたしていることに誰も気づいていない落とし穴があるということです。
以下の応答を行って見て下さい(必ずしも順番にする必要も無く、良いタイミングで、一つ二つ尋ねて見てください。
そして、その返答を必ずメモしておかれるとよいでしょう。
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わたしは、「ものみの塔」が「地上で唯一の神に用いられている組織」だと言うことを聞きまして、そのことに深い関心を持っています。
それさえ、確かな根拠ではっきりと理解できれば、他のことは、素直に受け入れられるのではと思います。あなた(司会者)もそう思いませんか?
ですから私は、他のことはともかく、もっぱら、ものみの塔の初期のころについての情報を色々と知りたいと思います。
(少なくとも当分の間、「聖書研究」での論題は「ものみの塔」初期の教理だけに限定して、それらを徹底的に調べたい。という所存であることをアピールしましょう。)
ものみの塔が「神の組織」だという根拠は何でしょうか?
一般の教会がそれを認めないのはなぜですか?
それらの人をさえ納得させる明確な根拠ではないのですか?
ものみの塔が神に選ばれて正式に「神の地上の組織」になったのはいつですか?
(おそらく1919年と答えると思います。)
最初のものみの塔はいつ、誰が執筆されたのですか?
(CTラッセルにより1879年創刊)
正式に神によって選ばれるまでの40年間のものみの塔の出版物はどういう位置にあるのですか?
(この質問にまとめに答えられる人はだれもいないと思います。)
初期のころの出版物などには、フリーメーソンのシンボルや十字架などが使われていた
り、誕生会やクリスマスなども祝っていたと聞いたことがあります。それは本当ですか?
(相手が知らないようであれば、このサイトの中から資料を印刷するなりして提出できます。)
今日では、神の不興を買うと言われている教理の中で、初期の頃には、何も問題視していなかったものが、その他にもありますか?
神が、全キリスト教宗派のうち「ものみの塔」を選ばれた一番の理由は何であると説明されているんですか?
それが、公認のための最大の条件であるという根拠はどんなものですか?
1919年頃のものみの塔の教理で(他の教派でも同様なものは除き、ものみの塔だけの独自の見解)今日まで何も変わらずにそのまま継続している教理にはどんなものがありますか?
(「地獄」や「三位一体の否定」など、せいぜい片手に余る程度しかありません。細かく分ければ何百/何千にもなるかもしれませんが、そのほとんどの教理、見解は幾度となく変転、もしくは破棄、あるいは後に新設されています。)
(つまり、神に選ばれたとされた時点での、ものみの塔の教理及びそれに基づいた活動は現在ではほとんど破棄され、別物になっているという事実があります。何を持って、自らを神に選ばれし者と主張するかは、その答えによっては致命的なものになります。)
(ものみの塔が神に選ばれて「神の組織」だと主張する根拠として「全世界に宣教していた」ということを挙げるかも知れません)
なるほど、しかし、重要なのは宣べ伝えていた内容、音信そのものこそ重要であるはず。
(当時広めていた音信が、現代のものみの等の教えと違っているのは、神からの「漸進的導き」として、新たな理解を得られたゆえに教理が変更されるというのが、ものみの塔の特徴的なスタンスです。)
なるほど、しかし、当時伝えていた音信をもって、神がそのグループを是認されたのであれば、その当時の彼らの理解を神は認められたという主張と同じでありあり、それから変更すべきではなかったのではないでしょうか。
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