雑記帳
ありのままに

「今のあなたはどれくらい本当のあなたですか」
ルカによる福音書の「放蕩息子のたとえ話し」の中に、困窮したときに
「そこで、彼は我に返って言った。」(ルカ15:17)
という記録があります。
原語を字句通りに訳すと、彼は彼自身に戻った。となっています。別の訳では、[本心に立ち返ったとき]となっています。
この部分を、英語の聖書で次のように訳しているのがありました。
「When came back to his senses」 直訳すれば、「彼のセンスに戻った時」
確かに、人はいつ何どきでも、常に自分らしいとは限らないかもしれません。
たまには、意識的に、ふと我に返ってみるのもいいかもしれません。
そして、何となく、本当の自分らしさを発揮し損なっている。
どことなく「無理してるなぁ」という自分に気付くかもしれません。
さて、もう1つ、英語の聖書で、「センス」が使われている聖句が目に留まりました。
イエスと弟子たちの会話の場面です。
「…「あなた方はこれらすべてのことの意味を悟りましたか」。彼らは,「はい」と言った。」(マタイ 13:51)
En: “Did YOU get the sense of all these things?” 「意味を悟る」という部分が「ゲット ザ センス」と訳されています。
この事から、わたしはこう考えました。 神のご意志を理解する。キリストのおきてに従うとは、どういう事だろうか。
結局、クリスチャンになるとは、神の持たれるセンスを身につける事、イエス・キリスご自身のセンスをゲットできるよう、自分のセンスを磨くことではないかと。
そのようにして、他のだれでもない、もっとも私らしい磨かれた自分になるのではないかと。
クリスチャンとして、とても大事なことのひとつは実は、「自分らしくある」ことだと思います。
それで、意識的に「ふと、我に返ってみて」、何となく、本当の自分らしさを発揮し損なっているなぁと感じたなら、もっとあなたらしいあなたのセンスを発揮して下さい。
あなたは今よりもっとあなたらしくて良いはずです。
今日のこの話のテーマを「今のあなたはどのくらい本当のあなたですか」としました。
今のあなたはどれくらいあなたらしいですか?
自分のことは自分が一番良く知っていると誰でもそう思いますが、時には、本当の自分らしさは、だれかほかの人から言われて始めて気づくということもあるかも知れません。
それとはちょっと違うかもしれませんが、私事で恐縮ですが、私がまだ小さい頃、私の母は、わたしが何か悪さをしたり、ふてくされていたりすると決まって「あら ○○ちゃんらしくないわね」と言ったもんです。
そう言われると、「私らしい人というのはどんな人なのかと考えさせられたものです」
それでこんな風に思ってしまったりするんですね。
「自分はひょっとすると、ほんとはもっといい子なのかも知れない」・・なんてね
きっと、そんなとき人は自分本来のセンスを取り戻す、つまり、本心に立ち返るのかもしれない。
余談ですが・・・そして親になってからそれを思い出して、「なるほど、『おまえは悪い子だ』と怒られれば、そうか、自分は悪い子なんだから悪いことをしても不思議は無いんだと思ってしまうかも知れないが、『おまえはいい子だ』と言って叱られるなら、そうか自分はいい子なんだから、こういうことは自分には似つかわしくないことなんだなって思うようになるかもしれない」と思ったりしました。