「フラットアース」における聖書記述との関連の再吟味 ダイジェスト メニュー

・・・さて、フラットアースを探求している人々の間でほぼ「定説」となっている様々なビジョンがあるようです。
地は平坦で、円形、硬いガラス質のような半球(ドーム)で覆われている。などというイメージです。
この中の例えば地は平面であって決して球体ではない。(地球平面説)という主張は、
単なる「説」というものではなく、誰でも簡単に確認できる紛れもない事実です。
しかし、円形とかドームとか言うのは、確認された事実というものでは無いでしょう。
このように、明らかな事実と、憶測や伝承などが渾然一体となって扱われています。
こうした傾向は、一部の理性的な人々の猜疑心を助長するように思えるため、逆に覚醒の妨げにならないだろうかと危惧しています。
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いわゆる伝承として、聖書時代の多くの
ユダヤ人が天と地に関してどんなイメー
ジを抱いていたのかは詳しく知りません
が、彼らの全般的な歴史を見ると、パリ
サイ人などの宗教指導者を筆頭に、度重
なる神への反逆、不信仰で、とうとう国
は分裂し、10部族は行方不明、ついに
は国土も失い、世界に散り散りになって
しまったことを考えると、古代ヘブライ
人の民間伝承などは、神から受けたはず
の啓発などはどこまで正確なものか、甚だ疑問であると言わざるを得ないでしょう。
イエスは当時のユダヤ教の文化や習慣、の逸脱を厳しい口調で糾弾されましたし、実際タルムー
ドの内容などは、言語道断だと言って差し支えないほど、歪められた内容になっているのは知
る人ぞ知るというところです。
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・・・ストロングのコンコーダンスによれば、この[ フーグ( 動詞)] は、[ ハーガグ( 名詞)] から派生した語であると説明されています。
基本的な意味は「巡礼を行う」で、 この語は聖書中に16回使用されており、殆どの場
所でcelebrate[ 祭り] と訳されています。
「祭り」と「円」がどんなつながりがあるのだろうと思いますが、年間の定まった祭りを順に行うということから、「巡る、回る」という意味を持つようになったようです。
予定通りしっかり実行して一巡するというところから、「円を描く」というニュアンスが
生じたと考えられますが、もともと形状としての円形というものではなく、「巡る」とい
うことから、回る、カーブ、円弧というイメージの名詞が派生したようです。
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・・・なんであれカーブした境目を表す語がgàronであり、仮にその形が円形だった場合、
それをgàronという語で表すことはことはあり得ると思いますが、しかし逆も常に真である
とは言えません。
gàronは必ず円形を意味すると断定することはできないということです。
ともかく、「地」「フーグ」「上」「座す」というこれら4 つの語が伝えているのは、「地のフー
グの上に座す」であって、地のフーグが、地の円だったとしても、地が円形であると言える
根拠にはなしません。
ついでながら、ヨブ26:10 や箴言8:27 で「円を描く」としていることを考えますと、そ
もそも地が円形であるなら、そこに更に円を「描く」必要がどこにあるのでしょうか。
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この聖句は直接には地のカタチについて言及してはいませんが、ヘブライ語の名詞「フーグ」が登場するわずか3箇所のうちのひとつなのでここで合わせて検証したいと思います。
・・・この記述は「地」に関するものではなく「天」に関するものだということを改めて認識する必要があるでしょう。
よく言われる「地の円の上」という表現が「地」の形状が「円形」であるという意味なら、
「天」も文字通り「円形」であるということになります。
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・・・日本語以外の様々な訳を見ても、フーグの訳語に一貫性がありません。
またセプトゥアギンタ訳も含め、「フーグ」に対する明確な訳語そのものが存在しない翻
訳も多々あります。
総合的に判断すると、聖書中にほんの僅かしか使われていないこの「フーグ」について
はあまり十分な理解がされていない。言語学者の間でも様々な見解があるようで、この
語に関して断定的に述べることは不可能というのが実情のようです。
フーグが絶対に円を意味することは無いと断言することはできませんが、ともかく「フー
グ」の本来の意味するところは、何らかのカタチを具体的に伝える語ではなく、カーブ
したもの全般、またその縁、端っこ、境界(ここからここまで)という概念を表す語句
と言って良いでしょう。
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何千年も前から聖書には「地球は丸いと記されていた」という主張の根拠として挙
げられる4 つの聖句を取り上げて考察してきました。
こうして列挙すると同一の単語が様々な語に訳されていることが解ります。
・・・結論は、ヘブライ語フーグが仮に円形を意味したとしても、それは地の形であると言える
根拠は無であり、聖書そのものは、地の形については何ら言及していない。と断言できる
ということです。
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・・・いずれにしても、聖書そのものが示すところによれば、「ラキーア」の本来の意味から言っ
て、天や大空などが、ドーム状やアーチ型というような具体的な形状をイメージさせる
根拠となるものは何も存在しません。
・・・最後に、フラットアーサーの間では、地は半円球(ドーム)の覆われていると考えられ
ていますので、ここに「ドームはいつ造られたのか」という設問を置いてみます。
この質問に対して「大空が造られた時」と異口同音の答えが出ると思います。
しかし空(ラキーア)は、水と水を分けただけで、「創造」されたのではありません。
・・・神による天地創造の説明の中で語られると、操作、移動、調整などと、無からの出現である創造の区別がつけにくいということがあります。
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・・・「第2 章 地は円形? part2」の最後の行に「ヨブ26:10 や箴言8:27 で「円を描く」
としていることを考えますと、そもそも地が円形であるなら、そこに更に円を「描く」
必要がどこにあるのでしょうか。」と書きました。
この「円を描いた」という表現が、その通りであったとして、共通しているのは「水の上」
ということです。
では、何(なに)で、どうやって描いたのでしょうか?
当然その表現自体は比喩表現でしょうけど、聖書記述から分かる範囲で、その具体的な
方法を推察してみましょう。
そもそも「円を描いた」のは、どのタイミングでなされたことなのでしょうか。
ここで、まず陸地ができる前の時点までの天地創造のプロセスを確認します。
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・・・神の創造物について思いを馳せるときも、同様に時間的な要素を考慮に入れなければ判
断を誤ることになるかもしれません。
更にタイムラインというかスケジュールなどにもを思いに留める必要があるでしょう。
基本的なキワードは「永遠」であり、そして段階的な目的、いつまでに何をどのように
と言う計画です。
私達は通常、永遠という観点からあらゆる物、事象、世界などのスケールを推し量るこ
とは普通あまりないと思いますが、神の業に関しては不可欠な要素でしょう。
そうした事柄を念頭に置いて天地創造の記述を思い描いてみたいと思います。
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・・・さて、フラットアースを探求している人々の間でほぼ「定説」となっている様々なビジョンがあるようです。
地は平坦で、円形、硬いガラス質のような半球(ドーム)で覆われている。などというイメージです。
この中の例えば地は平面であって決して球体ではない。(地球平面説)という主張は、
単なる「説」というものではなく、誰でも簡単に確認できる紛れもない事実です。
しかし、円形とかドームとか言うのは、確認された事実というものでは無いでしょう。
このように、明らかな事実と、憶測や伝承などが渾然一体となって扱われています。
こうした傾向は、一部の理性的な人々の猜疑心を助長するように思えるため、逆に覚醒の妨げにならないだろうかと危惧しています。
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・・・箴言8:27 の「深淵の面に円を描かれたとき」という表現の「深淵の面」(the face
of the deep)と同じ語句が創世記1:2 に見られることを考えますと、「円を描かれた
時」というのは、この時点、すなわち、「地」はまだ形さえなく、闇に覆われていた時
点だということになります。
・・・ヘブライ語「フーグ」に関する聖書的な根拠のある意味としては「回転、周回、
順路」などが最も適切な訳語と言えると思います。
「光」を創造するタイミングで「フーグを定めた」とは光が周回するというシチュエー
ションを伴って制定されたということでしょう。
ヨブ記26:10 は、「地」が円形であるということを示す文節などではまったくなく、
紛れもなく「天動説」そのものを意味します。
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それまで台地のバリアの機能を果たしていたものが取り除かれた結果、紫外
線を含め、至る所から降り注ぐ宇宙線(アルファ線、ガンマ線など)が直に地表まで
達することになり、台地の環境は洪水前と後とでは恐ろしく異なるものとなった。と
いうことです。
「神がなぜこの時点で「肉を食べる」ことに言及されたかを考える上で、
今この宇宙線の話をしているのは、それらが、ノアの時に外の水が洪水の際に失われ
たので、大気圏だけでは防ぎきれず、地表面に達し、動物の細胞を破壊し、老化を早
める原因になっているということです。
事実、洪水前の人の寿命は1000 年未満でしたが、洪水後急激に減衰してゆきます。
そうした地球環境の変化に対応するために採られた処置が、「動物性タンパク質の摂取」
です。
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創世記1 章の天地創造の記述
における、各1 日は実際にど
れくらいの期間かについて
様々な解説がなされています。
それは文字通りの24 時間の
1 日で、神は全能者だから何
でもできるという主張もあり
ます。
あるいは、それは分かりようがないことだとする説もあります。
しかし、聖書にはそれを知りうる記述がちゃんと存在します。
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